2007年03月14日

わが芸夢人生に悔いなし。

 今夜も都庁舎には遅くまで明かりがついているなあ。今度の新しい主は誰になることやら。

「あれ?政治と女性の話はこのブログでやらないんでは」

 そうだったっけ?ぽたーじゅ君。まあそんな厳密なきまりで縛るつもりはないけどね。じゃ、ゲームの話をしようか。

「ウォーゲームをやっていて人生にプラスになったことは」

 そんなのは色々あるぞ。まあ、主に3つだな。振り返ってみて最大のプラスは「英語を勉強せざるを得なかった」ことだな。初期のア●ロンヒルゲームの翻訳があまりにもひどかったから、中学生のころからやむなく英文ルールを読み始めた。

 ついでにGENERAL誌も読んだ。分からない単語だらけだから、ほとんど全部の単語を調べてヒイヒイ言っていた。結局、こういう地道な努力は受験に役立ったし、気付けば今のメシの種にもなっている。ホ●ージャパンのひどい翻訳に今では本当に感謝している。嫌味じゃなく本気でな。

 もう一つは「他者の無理解に寛容になった」ことだ。論語で言う「人知らずしてうらみず。また君子ならずや」だな。若いころはいくら周囲にウォーゲームの面白さを説明しても、なかなか理解されなかったし、それを悔しくも思っていた。「ルールブックがたったの10ページ」「一日で最終ターンまで終わるお手軽ゲーム」という感覚は確かに一般には理解されないよな。

 3つ目は「ウォーゲームに費やした時間と情熱を他に振り向ければ何もできないことはない自信がついた」ことだ。若いころはゲーム漬けに近いくらい没頭していた。だから大学を出てゲームをやらなくなってから、本当に潤沢な時間があった。極端なことを言えば司法試験だってやれば受かるんじゃないかと思えるぐらいだった。結局、今思えば無駄なことに時間を使ってしまったがね。まあ、それも人生だ。

 大学を卒業して15年余りは、それまでゲームに費やした時間と情熱を色々な方向に振り向けて突っ走ったから、本当に色々なことができた。今でもその情熱を仕事に振り向ければ、仕事の方で大成するような気もする。しかし、ストレスでつぶれてしまった可能性の方が高いようにも思う。今の仕事は「適職」だが「天職」ではないというのが正直なところだ。ウォーゲームは、それでメシが食えるわけではないけど「天職」という感覚だね。

 もちろん、またゲームに対する情熱を失ってしまうこともあるかもしれない。今のところはないと思うけど、先のことは分からないからね。そんときはそんときだ。

「わがゲーム人生に悔いなし、ですか?」

 そうだね。そう胸を張って言えるよ。ただ、内心忸怩たる思いがないわけではない。

 大学を出た後、当時もそれなりにゲーム業界に関わっていたから、本気で希望すればゲームの世界で生きることもできた。しかし、冷静に考えて「ゲームでは食えない」と思ったんだな。まあ、ゲーム以外の分野に就職した仲間の方が多かったし、ある意味当然の判断なんだけど。ただ、私の先輩では上級公務員に合格したのを蹴ってゲーム界に身を投じた人もいる。コンピューターゲーム関連に行ったのはそれこそ大勢いる。

 今の仕事に不満はまったくないよ。楽しくやらせてもらっている。ただゲームに復帰してからは出力80%ぐらいしか出さなくなったけどね。今から10年前は「そう言えばこの1カ月1日も休んでいないなあ。まあ別にいいけど」ぐらいの感覚だったから。

 しかし、どこか心の底で恥じる部分があったんじゃないかと思う。なぜあんなに好きだったウォーゲームと心中するくらいのことができなかったかと。ゲームをやめていた期間も、ふとそんな思いが頭をよぎって、一瞬気分が悪くなることが結構あったよ。ゲーム界に復帰してからは、精神のバランスが取れるようになった。精神の衛生状態が向上したというのかな。

「現状に不満はまったくない?」

 そうね。ただ、ときどき思うのは、「休日はどう過ごしてますか」という何気ない質問に素直に答えたいなあと。ウォーゲームの話をしてもややこしくなるだけだし。仕方なく「スポーツジムに行ったり読書したりしてます」と言ったりな。それは半分本当だが、ゲームをしない日の過ごし方だからね。

「無意味なうそをつくのは心苦しいと?」

 ま、慣れたけどね。世の中には本当の趣味を隠している人がいっぱいいる。色々な理由で。ストリップ劇場が大好きな小学校の先生とか、密かに推理小説を書き続けて懸賞に落選し続けている人とか。私の知っている範囲でも。誰にも迷惑かけないなら、黙っている人のほうが大人の生き方だ。普段の仕事をきちんとやっていればまったく問題ない。

 ただ、普通に「実は週末はウォーゲームをやってましてね」「ほうほうそうですか。われわれの年代では結構やっている人がいますね」というような自然な会話ができればなあと思うことがある。

 関係ないような気もするが、先日、歌舞伎で忠臣蔵「南部坂雪の別れ」を見たとき、不覚にも涙がとまらなかった。とっさにうそを言う大石内蔵助を見てね。何でかね。精神衛生は向上したような気がするけど、それでもまだ何か潜在意識にたまっているのかもしれないねえ。

 だけど、こんな程度の悩みは、客観的に見れば、世の中の多くの人が大なり小なり抱いているコンプレックスとほとんど違わない気もする。ウォーゲーマーだからといって特別な人間ではない。実に平凡な人生を送っているよ。

*******

 というわけで、5回ほどまとめてやったので、しばらくお休みにする。また、いつかどこかで会おう。

「ええー。早いですね」

 とりあえず言いたいことは言ったからね。こんなことを書いている暇があったらゲームの作戦研究でもやりたいんだよ、本当は。また言いたいことがたまったら、ドカンと連載するから。ひょっとしたら不定期にゲーム以外の話を書くこともあるかもしれない。

 結構色々な人が読んでくれたみたいで嬉しく思っている。あらためてこの場で感謝したい。異論、反論がある人も大勢いるだろう。ただ、私はしょせんフィクショナルな存在だからね。私にいくら突っ込んでもしょうがないんだよ。

 読者諸兄にお願いするのは、このブログを読んで自分の心に浮かんだ感情、気持ちと素直に向き合ってほしいということだ。それこそが自分の最も望むもの、あこがれるもの、恐れるもの、ねたむもの、忘れていたもの、忘れたいもの、あるいはもっと別の何か、だろうから。それを直視して、一人で掘り下げる作業を続けることこそ、ウォーゲーマーとして、さらに一歩進む道だと信じている。

 諸兄の芸夢人生に幸多からんことを祈る。そして素晴らしきウォーゲームの世界に乾杯!ゴキュゴキュゴキュゴキュ・・・プハー!
posted by 鮫形鐘一郎 at 01:57| (カテゴリなし) | 更新情報をチェックする

2007年03月13日

コレクターもまたよし。

 今日は年に一度の部屋の大掃除。本、CD、DVD、ウォーゲームを一斉に処分するよ。このゲームはゴミ箱へ。こっちは中古で引き取ってもらうと。

「あー。これなんか結構ヤフオクで高値なのに捨てちゃうんですか」

 そうだよ、ぽたーじゅ君。愚ゲームは社会の害悪だから目に触れないよう捨てないといけない。プレミアが付いて高値で売れたとしても、私は良心に反する行為はできない。人生は長いようで短い。愚書、愚DVD、愚CDは世の中から抹殺しないとみんなに迷惑がかかる。他の人に有益かもしれないものは中古品として引き取ってもらうけどね。

「コレクターはいけませんか?」

 そんなことはない。むしろ逆だよ。コレクターは批判されるべきではない。

「確かにこの部屋は小さなブック●フ並みの品揃えですからね」

 CDは1割、本は3割、DVD(含むLD)は7割が「積んだまま」だからねえ。ゲームの未プレイは2割ぐらいかな。「積読」は立派な楽しみ方だよ。問題なのは「積読」なのに読んだふりをしてウンチクを語る奴らだ。ゲームコレクターも単にコレクションして眺めているだけなら構わない。醜悪なのは情報に踊らされていい加減な感想を言っている連中だ。

 それでも一生目しないと確信したものは思い切って処分するようになったからね。私もずいぶん人間として成長したもんだよ。うんうん。いつ読めるか分からない本や、プレイできるか怪しいゲームを部屋に陳列して、ときどき読んだり触ったりするのは最高に楽しいからね。

「・・・何か変な幼児体験がありませんか?」

 鋭いね。実は子供のころ見た映画で、タイトルは忘れてしまったが、金持ちの食卓が出てくるシーンがあった。長細いテーブルに燭台がいくつも乗っている典型的なやつね。銀の高杯にフルーツが山盛りになっていたんだ。病院のお見舞い詰め合わせみたいな感じで。

 一緒に見ていた父に「何で一度の食事で食べられない量の果物が持ってあるの」と聞いた。父は「すぐ傷むものじゃないから、食べたいときに好きなだけ食べるんだ」と答えた。それがものすごくショックでね。まあ私も裕福な育ちでなかったから驚いたんだけど。山盛りフルーツを食べたいときに食べられるというのはものすごくうらやましく感じたんだよ。

 その体験から、大人になってからは、食べ物ではなく、自分の好きな本やゲームを山盛りにして、好きなときに好きなだけ鑑賞できるようにしようと思った。子供のころは同じ本を何度も何度も読んでいたからね。ほら、このジャガーバックスの「壮烈!ドイツ機甲軍団」なんかボロボロだろ。伝説の名著だ。こういうのを小学生のうちに擦り切れるまで読まないと立派なウォーゲーマーにはなれないよなあ。

「ちょっと話がずれてきてます・・・」

 ここにある本やDVDを全部鑑賞し終わってしまったら、ものすごい寂しさに襲われる気もする。まあ、幸か不幸か、当面そんなことはなさそうだがね。

「黒澤、小津、テオ・アンゲロプロスのボックスも手付かずじゃないですか」

 2、3本は見たような気もするけどね。いいんだよ。ときどきスリスリしてあげれば。

「うーん。そろそろ結論を。つまり馬鹿ゲーはさっさと処分しろと?」
 
 「馬鹿ゲー」って何かね。馬鹿なゲームのことなんだろうけど、いくらいいゲームであっても、プレイヤーが馬鹿でゲームの面白さに気付かない場合だってあるからね。プレイヤーが馬鹿なおかげで、馬鹿なゲームとレベルがあって面白くなる場合もあるかもしれない。プレイヤーが成長すれば、馬鹿と思っていたのが実はいいゲームと分かったり、逆に馬鹿なゲームに夢中になっていた自分を恥じたりすることもあるだろう。馬鹿なゲームと思ってお蔵入りしていたのを久しぶりにやったら実は奥が深いと気付いたこともあるし・・・。

「ということは・・・」

 あんまり早まってゲームを捨てちゃいかんね。

「さっき言ってたのと違うじゃないですか!」

 ワハハ。まあ固いこと言うなよ。ゴキュゴキュゴキュゴキュ!プハー!餃子にビールの組み合わせは最高に美味し!ついでにVictory in the Pacificは真珠湾奇襲のソリティアが最高に面白しだあ!

「それ、さっき捨てようとしてたでしょ!」
posted by 鮫形鐘一郎 at 00:58| (カテゴリなし) | 更新情報をチェックする

2007年03月11日

ウォーゲームの面白さが分からない奴は馬鹿だ。

 ブログを開設して1週間ぐらいは毎日更新しようと思っていたんだが、ヤボ用で北海道に行く用事ができたりしてちょっと休んでしまった。

 ついでに、ジンギスカンを食してきた。

「あ。当局の手入れの入った例の店ですね」

 草食動物のくせに詳しいね、ぽたーじゅ君。実はその店に行こうとして、こんでいて別の普通の店に行った。肉は悪くなかったんだけど、タレが激マズでね。ジンギスカンに限らず普通の焼肉でも、肉はそんなに悪くないのに、タレが業務用ボトルからそのまま注いだような店が多い。非常に残念だ。タレさえもうちょっと手をかければ十分満足できるのになあ。

 そば屋でも高級店と言われるところは、やっぱり「つゆ」がしっかりしているよな。こんな量でこんな値段取るのかと腹が立つこともあるが、「つゆ」に隙がない。ちなみに、私が自分でそばをつくったときは、野菜ジュースにだし汁を混ぜたものを「つゆ」にして食している。

「あー。あれは止めた方がいいですよ」

 いいじゃないか。本人がウマイと思っているんだから。他人に勧めたこともないし。

「すいません。そろそろゲームの話を・・・」

 普段の何気ない話の中にこそ真理が隠れているのになあ。ま、今日は本当に雑談か・・・。

「ウォーゲームが世間一般に普及していないのは、なぜでしょうか」

 そりゃ簡単な話だ。大衆受けしないからだ。世の中の多くの人はゲーム好きだ。家庭用ゲーム機なんか発売のたびに徹夜の行列ができたり、当初はべらぼうな価格で取引されているもんな。でも、われわれが普段やっている、いわゆるボードのウォーゲームがそういうメジャーな存在になるとは考えられないね。80年代のブームだって、家庭用ゲーム機が出回りだす直前だったという背景がある。

 ウォーゲームが広くプレイされない理由はいくらでも挙げられるよ。ルールが長くて覚えるのが面倒。プレイに時間がかかりすぎる。戦争がテーマだということに抵抗がある・・・などなど。そんなことはどうでもいい。間違えてはならないのは、「売れていないから質が低い」のではないということだ。

 例えば、テレビ番組の質で言えば、民放よりNHKの方が数多くいいものをつくっているよな。しかし視聴率はだいたい民放の方が上だ。大衆向けの低俗番組ばかりつくっている方が視聴率は多く取れる。それが「売れ線」なんだから、民放各社がそうするのはある意味当然だ。もちろん、民放にも質が高い番組はあるよ。ドキュメンタリーものとか。そういうのは深夜にやっていることが多いけど・・・。

 「視聴率が高いから質が高い」わけでないのは自明の理だね。質の高さと世間での普及の度合いは連動しない。むしろ「本当にいいものは世の中には数少ない」が真実なんではないかね。

 歌舞伎とか能とかの古典芸能は、愛好家の数こそ少ないが、長い歴史を経て良質なものだけが残っている。クラシック音楽やオペラなんかもそうだろう。この手の芸能のいいところというか幸運なところというかは、内容をよく理解されていなくても、何となく高級な趣味として世間的に認知されていることだな。まあ、であるがゆえに、分からないのに分かった風を気取っている愛好家が多い気もするがね。

 残念ながら、ウォーゲームはそういう点で世間的な認知度が低い。しかし、逆に言えば、現在ウォーゲームをやっている人は、「流行っているから」「みんながやっているから」「格好いい趣味に見えるから」という気持ちで続けている人はいない。流行っていないけど、ほとんど誰もやっていないけど、面白いからやっているという人しか残っていない(はずだ)。そういう意味ではゲーマーは「本物」の人が多い世界だと思うよ。「変わり者」も多いけど。

 断言しよう。ウォーゲームの面白さが分からない人は、やっぱり馬鹿なんだよ。別の言い方をすれば、ウォーゲームの面白さが分からない人は不幸な人生を送っている。そして、このことが分からない人の視点に立てば、ウォーゲーマーがひどく下らないことで時間を浪費しているように見えるだろうし、不幸な人生を送っているように見えるだろう。やむをえない。ウォーゲーマーは世間に認知されないことを恐れてはならない。

「どっかのカルト宗教団体の物の言いにも聞こえますが・・・」

 決定的に違うことがあるよ。ウォーゲームの楽しさを理解できない人は不幸だ。しかし、世の中には他にいくらでも幸せな人生、楽しい人生を送る手段がある。普通はウォーゲーム以外を選ぶ人の方が多くて当然だ。この当たり前の事実をゲーマーは分かっている。少なくとも私の知っていゲーマーたちはね。カルト集団の連中は、他に幸せを得る選択肢はない、自分たちこそが最高だと思っている。これが最大の違いだ。

「ほとんどビョーキの人だけが残っているようにも見えますが・・・」

 韜晦気味に言えばそうだ。それでも結構。不治の病を抱えた連中ばかりなら、私はホスピスのボランティアとして最後まで看取ってあげよう。私が先に倒れるかもしれないがね。

 もちろん、ウォーゲームの中にも下らないものはいっぱいある。みなさんご存知のようにな。できるだけ良質なゲームを、良き好敵手と数多くプレイできる機会があることを祈っている。私にも、世のウォーゲーマー諸兄にも。
posted by 鮫形鐘一郎 at 04:06| (カテゴリなし) | 更新情報をチェックする

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