2010年12月31日

天岩戸の中で踊れ、歌え

 「あれ?今日はいきなりアコースティックギターですか。しかも普通の銀縁メガネにテンガロンハット・・・」

♪PGGにすっかりタマシイ〜抜かれてさ
 それからオイラ、ウォーゲーマー〜

 「あ!NHKラジオで日曜朝にやっているマニアックな番組の主題歌の替え歌ですね」

 そうそう。私の年代よりもう一回り上の人が対象だけど、知らない話が毎回出てきて面白いよ。ゲーム雑誌でもああいう連載をオールドゲーマーにやってもらいたいね。

 「あの頃のゲームがプレイしたい、ですね」

 まさにそうだね。昔のウォーゲームとフォークギターの共通点は、シンプルなんだけど、ものすごく奥が深いところだね。簡単そうに見えてきちんとプレイするのは難しい。そして、感動がストレートに伝わってくる。

 「ヘビメタよりフォークの方がはるかに速いピッキングだったりしますもんね」

 カーターファミリー奏法をみんなできたのと同じくらい、昔のゲーマーはソークオフ戦術とかできたしね。

 「いいですねえ。ワイルドフラワー。まさにアバロンクラシックをプレイするみたいな指さばき、駒さばき。去年の椛の湖フォークジャンボリーも良かったですね」

 うーん。相変わらずウサギのくせにどういうわけか、あちこち行っているね。

 「そう言えば鮫形さんは普通のメガネだと、な●ら●壱に似てますね」

 ・・・そろそろお便りよろしく。

 「あ、サングラスに戻しちゃった・・・えーと、鮫形さんの若いころの話を聞かせてください、とのお便りです」

 これはゲーマーとしての私の若いころ、というか子供時代の話をしてくれっていうことでいいかな。

 「多分。最初に買ったウォーゲームは何ですか」

 タクテクスUだね。当時私は小学校4年生だった。確か2400円。プラモデル作りが好きで、●ビー●ャパンを毎月購入してて、そこに広告が掲載されてたウォーゲームの方に興味が移った。まあ、当時ではよくあるパターン。

 ゲームは大好きでね。私の周囲も含め。そして、まだファミコンやパソコンゲームのない時代。ゲームセンターみたいなところにはあったけどね。家庭用テレビゲーム機って画面でドットを打ち合うテニスゲームもどきぐらいしかなかった。

 ポケットメイトとかスクールパンチみたいなお手軽ゲームも友達と数え切れないぐらいやったよ。将棋や囲碁もやった。当時の小学校の将棋大会で私は2位になってね。1位は県大会3位になった奴。多分、今の私では当時の自分に勝てない。

 じゃあゲームばっかりやっていたのかというと、草野球はやっていたし、山にくるみを拾いに行ったりしたし、本屋で何時間も立ち読みもしてたし、テレビも見ていたし、かと言って勉強をさぼっていたわけでもないし・・・今思うと子供時代って、潤沢に時間があったねえ。

 でも小学校を卒業するころには普通のゲームは完全に飽きた。そしてゲームの東の横綱は麻雀で、西の横綱はモノポリーという結論に至った。これは大人になった今でもそう思う。

 結局ウォーゲームは子供時代には、面白いかどうか結論が出なかったんだよ。ルールを完璧に把握してプレイするのも困難だし、対戦相手を見つけるのも一苦労。ゲーム好きな友達にも色々インストしたけど、ダメだったね。

 例外的にマルチプレイは高校や中学の友人とよくやったね。今でも同窓会で会うと「ディプロマシーはもう1回やってみたい」と言う奴もいるよ。マルチプレイの横綱ゲームと言っていいだろうね。

 「どうやって対戦相手を見つけていたんですか」

 隣県のゲームサークルに2カ月に1回ぐらい行っていたよ。でも、私の住んでいたのは本当に田舎で、移動だけで4時間ぐらい必要でね。でも、それだけ苦労して行くと、心の底から楽しくてね。今思うと、たいしたゲームをプレイしてないんだけど。

 今でも覚えているのは、その隣県のゲーム会に行った日は、まったく食事をしなかったことね。ゲームに夢中になって食欲がどこかに行ってしまうんだ。まったく腹が減らない。水も飲んでなかったかも。ああいう経験はもうできないね。子供にはウォーゲームは劇薬かもしれんね。

 いつだったか、ひどい風邪を引いて出かけたのに、ゲーム会が終わって帰ったら治っていた。というか、治ったことに翌日気付いた。風邪を引いたことすら忘れてゲームに没頭したんだよ。今はそこまでできないなあ。

 「当時中学生でしょ。往復4時間もかけて行くのは・・・」

 違うよ。片道4時間だ。往復8時間かけて行っていたんだよ。

 「ええっ!完全に●チ●イですよ!」

 その通りだ。でもね、それを遠いと思ったことは一度もなかったよ。道中、ルールブックを読んだり、作戦を考えたり。退屈をした記憶がなかった。ユーミンが昔、中央線を経て四谷から六本木まで歩いていたとき、考えることがいっぱいでまったく遠いと思わなかったと回想していたのと同じ。あのゲーム会が私にとってのキャンティだったかもしれない。

 「もしもーし。思い出が時代を経て、かなり美化されてるようですけど・・・」

 まあ、そうかもね。いずれにせよ、そのころだよ。私が「死ぬまで退屈しない自信」を持ち始めたのはね。そして、そんなバカなことばかりしていた私のわがままを許してくれた両親に心から感謝したい。

 「そして、高校時代に妹の勝代さんにPGGでコテンパンにやられると」

 何でそんなこと知っているんだ!

 「この前、勝代さんから聞きました。鮫形さんが勝代さんを避けているのは、PGGで勝てなくなったからじゃないかって」

 それは違うぞ。断じて違う。

 「はいはい、分かりました。要するに、勝代さんは昔から優秀だったんですよね。駄目な兄から見ればねたましいのはもっともですねえ」

 違うっていったら、違うんだ!

 「そうですか、そうですか。それで、大学生になってから本格的にプレイに没頭したんですよね。ウォーゲーマーとして実績を積んだのはあのころ言ってましたもんね」

 そうなんだけど、ゲーム業界に絡む話も色々あってね。話しにくいこともあるんで、今日はここまでにさせてもらうよ。

 「そういうのこそ読者は聞きたがっているような気もしますが・・・。では恒例のお便り。ウォーゲーマーの数を増やすにはどうしたらいいですか」

 これまた何度も言っているけど、自分が残りの人生でどれだけゲームをできるかの方を悩め。

 「増えるのに反対ですか?」

 いや。反対する理由はないよ。増えるのは悪いことじゃない。

 「秘策があるかと」

 しょうがないね。こういうときは古典に学ぶのが一番だ。

 「アバロンクラシックですか・・・おや、それは古事記ですね」

 そう。天照大神が天岩戸に隠れてしまったとき、どうやって岩戸を開けさせたか知ってるね。

 「外でお祭り騒ぎをやったところ、その物音が気になった天照が岩戸を開けて、という話ですよね」

 ざっくり言うと、そういうことだ。つまりウォーゲーマーが面白くプレイしているところを、ウォーゲーマーでない人に見せてあげるのが一番いいんだよ。

 ただ現状は、残念ながら、規模から言って、われわれの方が少数派だ。ウォーゲーマーが岩戸に入っていて、世の人が外にいるという構図。だからちょっと岩戸の隙間を開けておいて、中で面白そうなことをやっているなあと思わせる「逆天岩戸」戦略が基本となる。

 じゃあ、具体的な作戦はどうするか。一番影響を与えるのは雑誌や広告だろうね。私もホビージャパンのゲームの広告を見てこの世界に入ったし。インターネット時代になって、各ゲーマーが簡単にブログを書けるようになったのも大きい。

 ゲームのリプレイや作戦研究を載せて「何か面白そうだ」と思う人がいれば、数は少ないかもしれないが、門をたたく可能性はあるよね。「どうしたらウォーゲーマーが増えるか」「若い人が来なくてどうしよう」なんて言っているようでは、若い人が来るとは思えない。というか逆効果だね。

 「うーん。そんなにたいした作戦ではありませんね」

 そうだね。繰り返しになるけど、仮にウォーゲームブームが再来しても、しょせんすぐに去ってしまうよ。私は、そんなにわかファンは来てほしくない。伝統芸能としてのウォーゲームに価値を見出せる人に来てもらいたい。

 「でも、そういう人が来るためには、まずは質より量みたいな話で、ブームが起きて大勢の人がウォーゲームに触れなければいけないんでは」

 一般論、確率論としてはその通り。でも、私はそうは思わない。来る奴は来る、来ない奴は来ない、なんじゃないかな。

 結論はいつもと同じ。「自分自身が心底楽しいと思ってプレイすること」だ。若い奴がやろうがやるまいが関係ないと。こんなに面白いものはないんだと思ってプレイしていた方が、「そんなに面白いのかなあ」と興味を持ってくれる人が増えるよ。

 私は特に、忙しい大人にプレイしてもらいたい。暇な大人がやっていても全然共感を呼ばないからね。あんな忙しい人が、それでも時間をつくってプレイしているってことは面白いんじゃないか、と思ってくれそうだから。

 「それは、暇な大人のウォーゲーマーに対して失礼ではありませんか」

 そういうつもりはないが、気を悪くする人がいたらすまん。俺も暇になってウォーゲームを存分にやりたいよ。

 「それが何か嫌味じゃないですか」

 そうかね。じゃあ、何もかも捨ててゲームに没入する勇気のない野郎だと嘲笑してくれて構わない。

 ま、私もせいぜい、こんなブログに駄文を書くという形で、天岩戸の中の踊りに参加させてもらうよ。

*****

 やっぱり、出て行くのかい。

 「色々考えた上で決めました。いつまでもお世話にはなれないです。腹ペコで神田川の橋の下で拾われた御恩は一生忘れません」

 そうか・・・。君がいなくなったら、このブログも終わりだね。

 「それは違いますよ!代わりに鮫形さんの相手を務めてくれる人がいますから」

 ん?ウサギじゃなくて人?

 「勝代さんですよ。僕からもお願いしておきました」

 えー!それはちょっと・・・。

 「鮫形さんが元気な限り、やめてもらっては困ります」

 うん。まあ、考えさせてもらうよ・・・。

 「特に、前回やると約束した初心者教室は必ずやってください」

 よく覚えているね。ちょっと考えたんだけど、あれって面倒くさいんだよ。

 「お願いします」

 ん。心に留め置くよ・・・ところで行くあてはあるのかい。

 「この広い世の中、ウサギ一匹くらい生きていく場所はどこかにあるでしょう。とりあえず西に向かいます」

 西?何でまた。

 「瀬戸内海の小島に、ウサギだけが住む楽園があると聞きました。そこを目指します」

 あー大久野島ね!でも広島県だからメチャクチャ遠いよ。大丈夫かい。

 「たどり着けなければ、それまでの話」

 いやいや、そういうわけにはいかんよ。よし、島まで連れて行ってあげよう。そこでお別れだ。

 「本当に最後までお世話になり・・・ずびばぜん・・・うぇーん」

 何も泣くことはないよ。今まで色々なゲームに付き合ってくれてありがとうな。

*****

 読者のために解説を。瀬戸内海に浮かぶ大久野島は広島県竹原市の忠美港からフェリーで約12分。宿泊施設(国民休暇村)で働く職員はいるが、基本的に住民はいない。約300匹のウサギだけが住む島だ。

 島には太平洋戦争中に毒ガス製造工場が置かれ、実験動物としてウサギが飼われた歴史がある。今いるウサギの祖先ではないようだがね。毒ガス資料館なんてのもある。

 島でPGGの箱を見て駆け寄ってくる白いウサギがいれば、それがぽたーじゅ君だ。私も彼がいなくなって心に穴が空いた気分だが、ブログは続けたいと思っている。勝代とやるかどうかは別にしてね。では、また会う日までごきげんよう。
posted by 鮫形鐘一郎 at 23:03| (カテゴリなし) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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